「大那」誕生秘話

大学卒業後、食品会社勤めを経て、酒造会社での厳しい酒造りの修行を終え、学生時代からお金を貯めては繰り返していた海外への放浪の旅にも区切りを付け、実家の酒蔵で働くようになったのは平成14年でした。
当時石数は約100石程度、栃木県では一番小さな酒蔵でした。
製造しているお酒は地元向けの普通酒と那須などの観光地向けの純米酒くらいで、1月に仕込みが始まりわずか一月半で酒造りが終わっていました。

会社の状況の厳しさに直面しました。
1歳上の兄は蔵の後を継ぐ意思はなく既に実家を離れており、自分がやるしかないと決意しました。
県内の同業者様や酒販店様に教えを受けながら今後の方向性を定め、新たにお酒のブランドを作ることにしました。弊社の蔵の周りの風景そのものの、大いなる那須の大地のようなスケールの大きい蔵にしたいとの思いを込め「大那」(だいな)と名づけました。(当初、候補として「やんや」「逢田」「大那」がありました。個人的に「やんや」でいこうと思っていたのですが、他方からのアドバイスから最終的に大那に決定いたしました。)

平成16年、商標登録を完了し同年冬、設備の整わない中、純米酒の製造をスタートしました。南部杜氏の元勉強しながらの製造でした。
資金不足のためお米の仕入れが限られ、初年度はタンク2本(20石)、翌平成17年は純米酒を3本 純米吟醸を2本の製造でした。

平成18年から自身が杜氏として本格的な製造を開始しました。
しかし、年々製造数は増えていたものの負債の返済や設備投資をしながらの製造は思うようにはいきませんでした。
もともと普通酒のみの製造だったため、特定名所酒を作るための冷蔵庫もありませんでした。
理想と現実とのギャップ、思うようにならない歯がゆさから、もしかして実家に戻ったことは間違だったのではないかと考えることもありました。

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転機が訪れたのは平成21年。
苦しい経営の中、平成19年から首都圏にも出荷をはじめており東京の特約店の酒屋さんからの推薦で雑誌「dancyu」3月号に「大那」が紹介されたのでした。
それをきっかけに知名度が上がり、震災後の日本酒ブームにも押され売上を上げていきました。

設備も整い始め、品質・味の再現性も向上し平成22年には全国新酒鑑評会で初めての金賞を受賞いたしました。

平成28年にはタンク51本(600石)を製造するまでになり、現在は海外の日本酒ブームにのりアジアを皮切りに、ミラノ、パリへ進出。今後はニューヨークへも進出予定です。

ここまで来るまでにはたくさんの人に出会いお世話になりました。酒屋さん、農家さん、従業員、家族。本当に感謝のしようがありません。

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まだ大学在学中のことですが、スペインを一人旅していた時に、当時まだ学生で同じように一人旅をしていた登山家の故谷口けいさん(登山界のアカデミー賞と言われるピオレドール賞の世界初の女性受賞者)と出会いました。
意気投合しその後モロッコのサハラ砂漠を2週間一緒に旅しました。彼女との過ごした時間は私にとって大きな意味のあるものでした。
彼女から学んだ「逆境でも負けない気持ち」は、経営や酒造りにおいても大いに役に立つものとなっています。
谷口さんが著名な登山家になったのを知ったのは、彼女が亡くなったニュースを見た時でした。本当に残念でしたが、彼女と出会えたことは私の自慢です。

放浪の旅でも仕事でも巡り合わせには意味があるのだと思っています。
私は今でも酒造りを通して旅をしているのだと思っています。

一期一会を大切にしながら、栃木を代表する酒蔵になるのが今の目標です。

そんな人との出会から誕生した「大那」を全国の多くの人に味わっていただけましたら幸いです。

菊の里酒造 株式会社
代表取締役 阿久津 信